ケイコ 目を澄ませて/岸井ゆきの

「映画」らしい映画。音が少なく、光の映像が際立つ。

ドラマと映画の線引きが難しい時代にアナログな映画だった。

 

ケイコは強い。作中のセリフである「人間としての器量が大きい」。

聴覚障がい者として、日常生活、ボクサーとして、仕事など、あらゆる場面でハンデや生きづらさを抱える中で、それらを丸ごと受け入れている強さが際立つ。ことさらに嘆いたり悲劇のヒロインぶったりしない。

「自己の置かれた境遇をあるがままに受け入れる」簡単なようで難しい。

 

トレーナーとのミットうちのシーンが秀逸である。

ほとんど無音の作品において、小気味良い、テンポの良い音が響く。

 

コミュニケーションの対比が面白い。

ケイコが通っているジムでは、会長、トレーナーともに顔を見て、口元の動きやホワイトボードを通じた筆談など、双方の息遣いが感じられるコミュニケーション。

新しく紹介されたジムではタブレットのアプリを使って無機質な印象を受ける。

洗練されたジムの雰囲気が、ケイコのジムとの違いが際立つ。

 

ケイコは新しいジムに通うことを拒否する。これはなかなかできることではない。会長が紹介してくれたこと、相手方も一見親切なこと、理性や頭で考えると受け入れてしまうところだろう。それでもケイコは自分自身の感覚、「なにかイヤだ」を頼りに判断する。周囲の意見や空気に惑わされずに、自分自身の感覚を頼りに判断できる人は強い。

 

コロナ禍において、しっかりと社会情勢を踏まえて描かれている点も面白い。